elämä サウナと人

1300年の歴史が繋がるアートとサウナ -猪子寿之 ロングインタビュー -(前編)

ー 「高級な場所で」ではなく「最高の状態で」アートを体験する

2021年3月、六本木のど真ん中に期間限定の「サウナ」が誕生します。このサウナを手掛けるのは、世界各地で活躍する日本を代表するアート集団「チームラボ」。今回の「チームラボ & TikTok, チームラボリコネクト:アートとサウナ 六本木」は、サウナとアートを掛け合わせた全くの新しい体験の展覧会です。

六本木蔦屋書店の目の前で建設中の展覧会場

この展覧会に向けて目下アート制作に取り組むチームラボ代表の猪子寿之氏に取材を行いました。雑誌「サウナランド」の編集長 箕輪厚介が、今回の展覧会に対する想いや狙い、猪子氏のサウナ体験からサウナの歴史・猪子説などを伺いました。前編、後編に分けてお届けします。

猪子寿之
チームラボ代表。1977年生まれ、徳島市出身。2001年東京大学工学部計数工学科卒業と同時にチームラボ創業。大学では確率・統計モデルを、大学院では自然言語処理とアートを研究。

「高級な場所で」ではなく「最高の状態で」アートを体験する新しい価値観の提示

箕輪ゲーテか何かのインタビューで、東京をヤバい街にしたいって言ってたじゃないですか。

猪子:うんうん。

箕輪:それ、猪子さんぽくて超いいなと思ったんですけど。

猪子:うんうん。

箕輪:猪子さん的な「ヤバい東京」ってどんなイメージなんですか?

猪子:まあ、ぶっちゃけ言うと、何か、いわゆる美術館にしても、ホテルにしても、クラブにしても、高級とか最先端みたいな視点でいうと、東京はもう結構しょぼくて。他が発展しまくっているから。一方で欧米人のほとんどにとって東京は来たことがなくて。遠いから少し神秘的なイメージがあったりして。でも実際、この部屋とか見たらそうだけど、結構しょぼいじゃない?(笑)

箕輪:最先端でも高級でもないし、外国人の頭の中にあるエキゾチックさもない。

猪子:ない。90年代と違って最先端でも高級でもない。一方でアートって、世界的に権威とされている場所に展示することがいいことになっているんだよね。ベルサイユ宮殿とかさ。

箕輪:最先端か権威か。

猪子:そう考えると東京は高級さもかけている上に国際的に権威のある美術館とかもない。であれば、作品を観る側を高級にして、いい状態にして、最高の状態でアート見せたほうがおもしろいのでないかと思い始めて。

箕輪:なるほど。最高の場所にアートを置くのではなく、最高の状態でアートを見せると。たしかにサウナの後は感覚が研ぎ澄まされてて、ご飯も異常に美味しく感じますからね。

猪子:そう。いっそ東京に今回みたいなサウナとアートの展覧会を作ったら、ある意味アホすぎて、アメリカ人やヨーロッパ人からみたら、意味が分からない。でも、よくよく考えたら、もしかして一周半まわってもしかして先に行ってんじゃんって感じになったら、おもしろいと思った。

箕輪:高級とか最先端では勝てない国になったから方向を変える。

猪子:そういう側面もあるね、ネガティブな意味では。一方で新しい価値観を提示するにはいいなと。

箕輪:ちょうどいい。

猪子:ちょうどいいというか、新しい価値観が提示できたら、別に全然オッケー。

箕輪:それこそが、アートの価値というか。

猪子:そのほうが、結局かっこいいじゃないですか? のちのち。

箕輪:うんうん。

猪子:東京は危ない場所だから。弱っちいからって勝てると思うなよと。ミサイル打ち上げるとかの勝負と違うところにいるから。こいつら何か危ないからちゃんと大事にしようね。って世界中の人に思ってもらわないといけないじゃん。

箕輪:狂ったやつらだと。

猪子少年が感じていた「境界」

猪子:で、超マニアックな話になるからすげぇ端折ると。

箕輪:あ、でも大丈夫。分からないなりに聞きたい。

猪子:大丈夫? 適当に端折ってくれていいんだけど、あのえーと。えー、すげぇ若い頃に、何でテレビの中に映ってるものは自分の肉体と連続的な場所にあるにも関わらず、境界の向こう側にあると思っちゃうんだろうというのに、すごい興味があって。

箕輪:思わなくないですか? そんなこと。

猪子:10代の頃に。

箕輪:早い。地球上では繋がってるはずなのにと。

猪子:ニュース番組とか見ても、テレビの中と自分の肉体がある場所は繋がってんのに繋がってないかのように。

箕輪:別世界になってた。

猪子:そう。なんで別世界のように見えるんだろうって。それで俺、(出身が)四国なんだけど。自然の中、例えば山の中行って、いいなと思う空間。すげぇいいなと思って写真撮るじゃん、で現像するじゃん、当時は。そうすると、あ、何か自分が見てた世界と違うみたいな。

箕輪:どう違うんですか?

猪子:だって、いや、それが当時分かんなくて。何で違うんだろう? 感動して撮ったはずなのに。全然俺が感動した景色と違うみたいな。

箕輪:うんうん。

猪子:何でだろうっていうのがずっとあって。で、最終的にはそれはどうもレンズが認識に境界を生むっていうことに気がついたのね。例えば、すごい分かりやすく言うと、映画。カメラで撮った映画世界はスクリーンの向こう側にあって、自分の肉体がある場所にはないんだよ。

箕輪:カメラを通すことによって、実際的に別世界になっちゃうってこと。

猪子:境界が生まれやすいのよ。

箕輪:カメラが本来はない境界を作っちゃうってこと。

猪子:えっとね、レンズっていうものが何らかの空間を二次元化する方法の1つだと思うんだけど。そもそも境界を生む特性を持ってるんですよ。もっと話すと超長くなるんだけど、論理的にそうなの。境界を生んじゃうの。だから実際さ、映画がどんだけ大画面になろうと、どんだけイマーシブになろうと、自分が座ってる場所にはないんだよ。

※イマーシブ=没入感がある状態

箕輪:うん。ない。

猪子:映画の中の世界にも自分が座ってる椅子は絶対ない。そこは完璧に境界がある。

箕輪:うん。どんな画質が良かろうと。

猪子:そう。どんだけ画面がデカくなろうが境界が明確にある。

箕輪:ある。

猪子:境界の向こう側に撮った世界はある。

箕輪:うん。

猪子:うん。つまり境界が生まれやすいのね。ていうのに気づいて。で一方で、何で人は境界なんてないのに境界があるかのように振る舞ってるんだろうって思ってた。何で? 意味が分かんなかった。何で境界があるかのように振る舞うんだろうって。

箕輪:国境とかってこと。

猪子:国境レベルもそうだし。

箕輪:宇宙と地球とか。

猪子:何でも。何でも境界があるかのように認識してる。

箕輪:それ10代の時に思うの?

猪子:そうそう。10代の時にそれが不思議だったの。

箕輪:要はレンズがあるから境界ができるだけで、本来は全部グラデーションじゃんって。

猪子:そう。グラデーションなのに何で境界があるかのように人は世界を認識してるんだろうって。もしかしたら人々はレンズで切り取った世界を見過ぎて、テレビとか写真とか雑誌とか見過ぎて、それで境界が生まれててすげぇかわいそうなんじゃないかと。

箕輪:そういうメディアを見るたびに人は自ら壁を作ってると。

猪子:そうそう。境界を作って。

箕輪:どういう原体験なんですか。全く共感できないんですけど(笑)。

猪子:(笑)。

箕輪:思ってたってことですよね。

猪子:そう。思ってて。だから境界のない空間認識で世界を撮ったものをいっぱい見ると、人間の境界は少しなくなるんじゃないかと思って。

箕輪:ほー。

世界に境界がないことを、身体にダイレクトに伝えるための試行錯誤

猪子:人類のためにそれを発明しなくちゃいけないって思ったの。日本画の古典は西洋の遠近法とかとは全然違う描き方しててすごい興味があったのと、実は漫画も比較的、境界が生まれにくい空間の認識なんじゃないかと。

箕輪:漫画?

猪子:絵の描き方が。レンズや西洋のパースペクティブ、遠近法と違って。

箕輪:へー。何が違うんですか?

猪子:えーとね。結果だけを言うと、レンズで撮ると境界が生まれる上に、視点が固定されるんですよ。だから座って見ないといけない。でも日本画の古典も漫画も境界が生まれにくく、視点を固定されないの。だから肉体は自由に動けるの。

箕輪:ほう。

猪子:で、日本画の古典に共通の、もしくは漫画に共通の、空間の認識の構造を論理化したんですよ。それを「超主観空間」って名付けて。まぁ完全にその論理構造が日本画の古典と一緒かどうか分かんないですよ。分かんないけど、ヒントにしながら論理化して境界が生まれない平面を作った。で、まぁちょっとニッチな世界で作品作りをやっていって。

箕輪:少しずつ猪子少年の想いがカタチになっていって。

猪子:そう。で、とうとうニューヨークのトップギャラリーで個展をすることになって。ニューヨークは本場だからさ、今までは難しすぎて言わなかったけど、展覧会名も「ウルトラサブジェクティブスペース(超主観空間)」って展覧会名にして、ディスプレイ作品を並べたの。で、「境界生まれないから!」って言ったんだけど、ニューヨークの人から「いや境界あるから!」って言われて。

※ニューヨークのペース・ギャラリーでの個展「超主観空間 / Ultrasubjective Space

箕輪:え!

猪子:衝撃受けて。すんごいエライとされている人たちに「境界あるから!何言ってるのおまえ?」って言われて。こいつらほんとバカかと。

箕輪:(笑)。

猪子:絶対俺は合ってて。論理的にも見た感じも。境界生まれてないじゃんって思ってたけど、「いや境界あるから!」って言われるから。それで心がちょっとだけ折れて。ちょっとだけ折れたんだけど、1回それはそのまま無視して、「うっさいわ!」て思って、延々やり続けたの。それが今のボーダレスに。

※東京・お台場のチームラボボーダレス

箕輪:何も変えてない?

猪子:何も変えてない。ただデカくしていった。こんなに境界ないのに、境界あるあるっていうのは、ディスプレイが自分の視覚よりも狭いから。なら広くしてやろうと思って。「バカだな!もう教えてやるよ!」と思って。例えばボーダレスの滝なんだけど、この滝はコンピューター上の三次元空間に水のシミュレーションをして、レンズではない超主観空間で撮ってるんですよ。もし実際の滝をカメラのレンズで撮って壁に投影すると、壁が境界になって、滝は壁の向こう側に出現するじゃない。

箕輪:そう感じるってことですよね。

猪子:論理的にそうなんですよ。

箕輪:論理的に。

猪子:さっきの映画のスクリーンのこと。

箕輪:平面的になっちゃうってことですか?

猪子:違う。レンズで撮った空間はスクリーンの向こう側にできちゃうんですよ。

箕輪:論理的に。

猪子:論理的に。でも感覚的にもそうでしょ?

箕輪:感覚的には分かる。

猪子:向こう側にあるでしょ? 自分の肉体がある空間にはないでしょ? カメラで撮った滝は。絶対ないでしょ?

箕輪:浮かび上がってこない感じですよね。

猪子:自分の肉体と連続してないの。

箕輪:それは分かる。

猪子:分かるでしょ? でもボーダレスは自分の肉体がある空間に滝があるかのように感じるでしょ? そうでしょ? 境界がないんですよ。だから自分は滝がある作品世界の中を歩いてるように感じるんですよ。だって実写の映画のさ、例えば宇宙ものを見ててさ、宇宙なのにこの椅子あるのおかしいって誰も思わないじゃん。分かれてるから。

箕輪:自分の座っている映画館の椅子は映画の中にはないよね。

猪子:でもうち(ボーダレス)に来ると、自分の肉体は作品世界の中にあるのね。

箕輪:まさにまさに。

猪子:だから境界無いんですよ。だから合ってたんですよ。合ってるんですよ。自分は合ってるし、感覚も合ってるんですよ。ただバカだっただけなんですよ。みんなが。勘違いしてるから「うっせぇわ!」て思って。

箕輪:(笑)。でも自分が間違ってるって疑わなくて良かったですね。

猪子:疑ったことない自分に。自分自身を疑ったことは1回もない。お金がなくなりそうとかはしょっちゅうあるよ。それはまあ良くて。ただちょっとだけ心が折れて、せっかく境界がない世界に、境界ない概念に、人々を変えてあげようと思って一生懸命10年以上研究して、論理構造を発明してアートにしたのに、「境界はある」とか言われて、ちょっとシュンとして。

箕輪:そう感じられちゃったらしょうがないですよね。

猪子:しょうがないから、もっと分かりやすい「世界に境界がないんだ!」っていう強制的な体験を作ろうと思ったんだよ。

箕輪:合ってるんだけど、分からせるにはサイズとかが必要だったってことですか?

猪子:いや違う方法でも。もうダイレクトに「境界ないんだ!」って肉体に教えてやろうと思って。それで違う方法論の作品を作り始めたんですよ。で、それの集大成っぽいのが、豊洲のプラネッツで。

箕輪:なるほど。

猪子:そう。例えばディスプレイだと、光のドットが二次元に並んでる絵がある。でも、光のドットを三次元に並べて、光で立体の映像空間作れば、その空間に肉体ごと入れるから、認識した立体物に肉体ごと入ってしまう。だから、つまりとにかくもう難しいこと置いといて「地球とお前は一体なんだ」って。

箕輪:強制的に分からせようと。

東京・豊洲のチームラボプラネッツ に展示している「The Infinite Crystal Universe

内的世界を変えるアプローチ

猪子:そういうシリーズを作ろうと思ってやり始めたの。で、水も作品の境界面が肉体と曖昧だから、水で作品とかも作り始めたの。それで、その一方で、お風呂がすごい好きだから。お風呂ってただ機嫌良くなるじゃん。

箕輪:話の展開!(笑)。アートの格闘の歴史から、お風呂好きっていう話題に移ったんですね。

猪子:お風呂好き。何でかって言うと、西洋人とかは、世界を俺たちの都合が良いように変えるぞ! みたいな考え方だけど、禅とかは、心を変えたら世界の見方が変わるから、みたいな。そういう思想がさ、結構アジアにあって。

箕輪:内的世界。

猪子:そうそう! 内的世界を変えると外が変わると。それが分かりやすく、一発でそうなるのがお風呂、お風呂、お風呂。

箕輪:(笑)。

猪子:お風呂入るともうなんか“あ〜何だかまぁまぁいいね”みたいな。

箕輪:まぁそうですね。

猪子:そう。で、で、お風呂のアート作りたいなと思っていたの。

箕輪:ずっと思ってた。

猪子:そう。だから、もう、だから、僕は体ごと没入させたい使命と欲望が強いから。

箕輪:頭の中のどっかにずっとあったという。

猪子:ある。だから例えば、泡で作品を作ったりいろいろしてるわけ。その時にやっぱ服着ているとさ、泡もついて怒られたりさ、濡れたりするから。もう風呂場っていうか水着で回る美術館を作りたいっていう思いがずーっとあったの。

箕輪:ほう。

猪子:それこそ、そのー、スイスの何だっけ?

箕輪:あーあの。

猪子:テルメ・ヴァルスだ。めちゃくちゃ美しいと思って、本当にさ、最高の景色と最高の建築と最高のお風呂みたいな感じでめちゃくちゃいいのね。

スイスのホテル「テルメ・ヴァルス」※写真は公式サイトより

猪子:あとアイスランドにある…ラグーンだ。ブルーラグーンっていう、もうそれは大自然なんだけど、もう本当に美しい。とか、結構世界中で行ってたりしてたの。もう美しすぎて。で、話がやっとサウナになるんだけど。

アイスランドにある温泉施設「ブルーラグーン」※写真は公式サイトより

箕輪:そうだ。忘れてた。

猪子:そう(笑)。で、2019年に小原さんが御船山楽園にサウナを作ったタイミングで一緒にサウナに入ったの。小原さんに教えてもらいながら。あのプロセスでね。もちろんサウナ入ったことあるけど、プロセスしっかりしてなかったから。しっかりしたプロセスで入るとパコーンとなっちゃって。もうパコーンと開いちゃって。その目の前にさ、行ったことあります?

※小原さんが御船山楽園にサウナを作った=佐賀県 御船山楽園ホテルの「らかんの湯
※あのプロセス=サウナ→水風呂→休憩の順で入るサウナの入り方

箕輪:御船山行ってない。行った人みんな圧倒的に良いって言いますよね。

猪子:もう歴史と森の中なんですよ。もう古い庭園の山が目の前にあって、で、その時俺もうベロンベロンだったりして。

箕輪:(笑)。

猪子:もうベロンベロンでもう。サウナ、水風呂まで入ることはできるんだけど、水風呂から座る場所まで行けず。

箕輪:プロセス踏めてない(笑)。

猪子:(笑)。山あるし、サウナの裏に行基の洞窟もある。で、「ここは何ていう場所にしたの?らかんの湯?そういう海外の人が読めないのはダメだよ~」とか言ってて。「いや、実はここ五百羅漢の洞窟のとなりだから」とか説明を聞きながら。「行基の〜らかんの湯だ〜」とか思いながら。もう歴史と森と一体化してやべぇーと、これはもう開きっぱなしだと。

※行基=飛鳥時代から奈良時代にかけての僧

箕輪:(笑)。

猪子:もう身体と、俺の身体はもう山との境界はないと。

箕輪:完全に一体化したと。猪子少年が求めてた境界のない世界があった。

猪子:そうそうそうそうそう! そう!

箕輪:これだと。

猪子:そう! これはもう本当に俺の難しい話とか聞かなくてもいいと。

箕輪:なるほど! 散々色々やってきたけどサウナにあったと。

猪子:これもう一番強制力があるわ! と思って。

箕輪:(笑)。

後編へ続く


編集/箕輪厚介
編集補佐・ライティング/清水えまい大西志帆浅見裕
書き起こし/しばたゆうこ隅倉文子大村祐介氷上太郎黒羽大河


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