「高級」という物差しでは勝てなくなっている東京。これまで世界を相手に、アート作品を通して「境界のない世界」を目指してきた代表の猪子寿之氏は、作品を作りつづけた末に「サウナ」にたどり着きました。
後編は、全てが繋がったサウナの歴史についてお話を伺いました。
猪子寿之
チームラボ代表。1977年生まれ、徳島市出身。2001年東京大学工学部計数工学科卒業と同時にチームラボ創業。大学では確率・統計モデルを、大学院では自然言語処理とアートを研究。
最古のサウナー「行基」と聖地・御船山楽園
猪子:で、その御船山楽園で元々やってた展覧会※もめちゃくちゃ広いんですよ。遭難する感じ。特にもう7年前とか6年前とかお客さんが1人ぐらいしかいないから。
※九州・武雄温泉の御船山楽園で2015年から行われている「チームラボ かみさまがすまう森」
箕輪:へー。
猪子:もう何か猿しかいないみたいな。森の中で太古の磐座(いわくら)があったり、行基の五百羅漢があったり、江戸時代にできたお庭があったりする中を彷徨っているうちに、自分は世界の一部として生きているし、長い時間の連続性の上に存在できている事をほんのちょっと知れる展覧会を作りたいと思って、やってたの。
箕輪:おお。
猪子:何かこう、作りたいと思ってやってたものと結びついたのね。
箕輪:いろんなピースが。
猪子:そうそうそうそう。
箕輪:アートと、お風呂好きと、サウナ体験が一瞬に。
猪子:そうそうそう! もうその瞬間、美術館の中にサウナを作ろうって言って。御船山でサウナ入ってアート観ていくみたいな体験を、淋汗茶の湯※っていう名前を付けて始めて。
※御船山楽園で開催中の「チームラボ 廃墟と遺跡:淋汗茶の湯」
箕輪:はい。
猪子:で、話はまた前後するんだけど。
箕輪:はい(笑)。
猪子:何か淋汗茶の湯をやる前に、風呂と我々の関係みたいなものがどうだったのかなって思い始めたの。これはもう昔の人も、絶対ととのって、アート観て、茶飲んでいたんだろうと思ったわけ。
箕輪:予想したんですね。
猪子:そう。
箕輪:そのはずだと。
猪子:そのはずだと。いや絶対。絶対にととのって、アート観て、茶飲んでると。
箕輪:確信してたんですね。
猪子:絶対そうだと。もう、もう絶対そうだから! と思って調べたの。そしたら本当にそうで。
箕輪:(笑)。
猪子:しかも酒飲んでんの。
箕輪:猪子さんと同じことしてたんだ。
猪子:そう。で、名前のもとになった淋汗茶の湯っていうのは室町時代にできるんだけど。
箕輪:うん。
猪子:その話の前に、また繋がっていくんだけど。もうだから切れないからさ、俺。物事を簡単に。
箕輪:今のところ話が全部境界なく繋がってるから大丈夫です。
猪子:物事をなかなか切れないからさ。えーっと、その…。ま、元々、風呂っていう、今のお湯? に入るのは江戸中期で。水道技術ができてから。それまで風呂っていうのは蒸し風呂のことで。
箕輪:うんうん。
猪子:だから、今のさ、ロウリュ式のサウナと比較的似てるっていうか。
箕輪:ほうほう。
猪子:ほぼ変わらない。あの、今も残ってますよ。
箕輪:あの、瀬戸内海のほうに行くと。
猪子:そう!
箕輪:だいたいあれですよね。洞窟風呂みたいな。
※こちらに洞窟蒸し風呂のイメージ写真を掲載しておりましたが、使用している写真にご指摘をいただき、歴史文脈の解説に使うイメージ写真としては適切でないと判断したため、削除させていただきました。ご指摘に感謝いたします。
猪子:そう! だから、ほぼサウナだったわけですね。ずっと江戸時代までは。海の民たちが、洞窟に薬草入れて。
箕輪:うんうん。
猪子:燃やして。そうすると洞窟自体がもうサウナストーンになるから、で、海水入れて。
箕輪:うん。
猪子:んで封して、蒸し風呂にして。んで、布敷いて入ってたらしい。で、行基の時代。行基っていうのは当時、仏教を人々に教えるんだけど。
箕輪:うん。
猪子:仏教を人々に教えるのはその時、違法なんだね。
箕輪:あー。
猪子:大衆に教えるのは違法っていう。それを無断でさ。
箕輪:布教してた?
猪子:そうそう。箕輪くんが幻冬舎に無断でサウナの布教してるようなものでさ(笑)。
箕輪:(笑)。草の根で勝手にやってたってことですね?
猪子:そう。で、勝手に仏教教えていったわけ。で、おもしろくて、仏教を教える一方で行基は治水工事をしてくんだよね。で治水工事終わるとさ、実際に豊かになって人も死ななくなるのよ。もう行基スターじゃん?
箕輪:うん。
猪子:大スター。食べ物も増えたし、洪水とかで人が死ななくなったし。で、行基がスターになっていくんだけど。それってさ、もっと言うとさ。
箕輪:うん。
猪子:『サピエンス全史』でも言ってるけどさ、人は虚構によって集団行動をできるようになって。
箕輪:虚構を信じる力ことが人類の歴史を急速に発展させたってやつですよね。
猪子:そう。当時100人とか集めて土手作れって言ってもできないじゃん? でも仏教を教えることによって。
箕輪:まあ、そうですね。同じ教えを信じることで集団行動ができる。
猪子:そう。どっちが先か分かんないけど、仏教を教えたことによって治水工事を成功させて、治水工事によって民をほんとうに豊かにした。
箕輪:実際に豊かになって「行基、神!」って思うからますます仏教も信じますよね。
猪子:そうそうそうそう! そうなの!
箕輪:「こいつすげぇ!」ってなる。
猪子:「こいつすげぇ!」って。んで何かもう、民衆に大人気で、行基は当時、大犯罪者だったんだけど。
箕輪:あー。
猪子:そのとき日本で初めて疫病、天然痘が流行って。
箕輪:うん。
猪子:もう、人が死にまくった。で、もう政府が急遽さ、今までは「行基許さないー」って言ってたのにさ、突然「行基に助けてもらおう!」って思ってさ(笑)。行基いきなり最高位にしてさ。
箕輪:ほう。
猪子:「どうも民衆に支持されてる」と。「あいつほんとに力あるんじゃねえか」みたいな感じでさ。
箕輪:なるほど。
猪子:死ぬのが怖いから、最高位にして。奈良の大仏作らせるわけ。で、実は、行基の時代っていうのは海の民の洞窟じゃなくて、陸地にちゃんとした蒸し風呂ができた時代なのね。
箕輪:うんうん。
猪子:で、たぶん行基は、陸地に初めて蒸し風呂を作った人の1人なの。
箕輪:猪子さんがそう思ってるってこと?(笑)
猪子:実際、奈良の大仏のお寺にもサウナがあったんだよ。行基が寺にサウナ作ってたの。
箕輪:寺サウナ! 行基、めっちゃサウナーなんすね。
サウナを作って治水工事をしていた行基。確かにサウナ好きそう
猪子:仏教に興味なくてもさ、サウナ入りたくて行っちゃうじゃん? 寺にしかサウナなかったら行っちゃうじゃん?
箕輪:行っちゃう(笑)。
猪子:で、ととのうじゃん? ととのった耳元でさ。
箕輪:お経入れて(笑)。
猪子:お経入れて「仏教っていいんだよ~」って。「はあぁぁぁぁ」って(笑)。
箕輪:それ、たしかに(笑)。
猪子:それで、「はあぁぁぁぁ」って開いちゃってるし。それで、仏教信じて、治水工事。つまり、寺にサウナ作り、サウナ目当てに村人たちが集まり、ととのい、ととのった脳みそに仏教を教えこんで(笑)。
箕輪:ほう!
猪子:それで! 治水工事をさせて、実質的に豊かにした。
箕輪:した! すごい話(笑)。
猪子:そう。で、奈良の大仏作る時にももちろん作るわけだ。
箕輪:サウナを。
猪子:そう。それがたぶんお寺の歴史で残ってる最古のサウナの一つじゃない。
箕輪:大仏作る時にサウナ作るって言ったらバカかと思われそうですよね。
猪子:でも、民衆に「大仏作れ」って人集まってくるわけないから、サウナ作ったわけよ。
箕輪:そうか。すごい話ですね(笑)。
猪子:そう。それを「功徳風呂※」って呼んだの。「功徳風呂」って何かっていうと、要は、みんなへの施しですと。
※功徳風呂=層や貧民に対して、お金を取らずに施しとして行っていた風呂
箕輪:うんうんうん。
猪子:みんなへの施し、つまり、大衆への施しですよっていう。だから「功徳風呂」って言うの。
箕輪:なるほど。
猪子:初めっから公共だったわけ。
箕輪:うん。
猪子:その歴史があるから、銭湯ってさ、あり得ない値段じゃん? だからコロナになっても閉まらないでしょ? 実は、行基の時代から公共物としてはじまって、それが、日本の銭湯文化っていうものへ続いたわけ。
箕輪:すごい!
猪子:すごい! だから、日本はこんだけお風呂好きになった。
箕輪:なるほど。
猪子:行基の時代にパブリックにして、そっからずっとパブリックで続いてたみたいな。だから今でも銭湯がほぼタダ。すごいよね。こんなに街中に銭湯あってほぼタダで入れるなんて、世界中にないから。
箕輪:たしかに。
猪子:で、室町時代になると成り上がりの豪族が出てくる。足利幕府がちょっと弱くて。成り上がりだから、時の権威たちをバカにするっていうか。
箕輪:そういうカルチャーだった時ですよね。権威的なものを茶化すみたいな。
猪子:そう、そう。その通り。よく知ってるね。それが婆裟羅文化※っていう。
※婆裟羅(ばさら)文化=室町時代に流行した社会風潮、美意識。実力のない「名ばかりの権威」を馬鹿にして派手な振る舞いや服装をすること。のちの下克上や歌舞伎文化につながる。
箕輪:歌舞伎とかがその辺から来るんですっけ?
猪子:そう、婆裟羅文化のおかげで、婆裟羅文化の延長に歌舞伎だったり、下剋上のカルチャーが生まれて、実際に起こっていくんだけど。
箕輪:うんうん。
猪子:後の歌舞伎とかうつけ※とか。名ばかりの権威をバカにして出てきた新しい豪族たちの文化。そうするとさ、新しい豪族も、また風呂造んないといけないじゃん。
※うつけ=「からっぽ」「愚かなこと」を表現する言葉
箕輪:サウナ、また(笑)。
猪子:そう(笑)。
箕輪:そんなサウナって日本の歴史の中心にあったの?(笑)
猪子:あったあった(笑)。私のほうが力あるよと。それを示すために風呂造んないといけないじゃん。
箕輪:そしたらみんな納得すると。
猪子:そう。風呂を振る舞うわけ。だからそれで風呂ふるまい※ってのが始まるわけ。
※風呂ふるまい=室町時代では薬師堂や観音堂で風呂を沸かしたり、裕福な家が近所の人々に風呂をふるまったりした。浴後に茶や酒を飲んだといわれている。
箕輪:そんな単語があるんですか?
猪子:ある。ちなみに、そのしょうもない雑談でいうと、さっきの海の民が洞窟をサウナストーンにしてたわけじゃん。その時にさ全部サウナストーンだと歩けないじゃん。
箕輪:うん。熱くてね。
猪子:だから布を敷くのよ。でサウナするじゃん。そんで熱くなって海でも入ってととのっちゃって。気持ち良くなったらすっぽんぽんで帰りたい。
箕輪:うん、サウナの後に着物は着たくない。
猪子:そういう時に、下に敷いていた布で脱いだ着物を包んで帰ったのが、風呂敷なのよ。
箕輪:おー。風呂に敷いてたから風呂敷。すごい!
猪子:そう!(笑)。話戻って、そんで、風呂振る舞いをし始めたわけ。で、休憩する場所にお香を焚いて、屏風を飾ってた。つまりサウナ入ってお香焚いてアート観ると。で、そのあと酒飲んで、茶も飲むと(笑)。もうめちゃくちゃじゃん。
箕輪:まさに猪子さんがやったようなことを昔の人もやっていたと。
猪子:そう。だから「チームラボ 廃墟と遺跡:淋汗茶の湯」っていう展覧会を御船山で始めたんです。サウナ入ってアート観て茶飲んで帰るみたいな。
箕輪:で今回の六本木のチームラボコネクトはその流れだと。
サウナブームの背景は日本人の風呂好きと水風呂の歴史
猪子:そう。もう1つ雑談していい? このサウナブームはさ、大きく2つあると思っていて。背景としては、行基の時代からみんな風呂好きだと。こんなに風呂好きな国民はいない。
箕輪:うん。みんなお風呂大好き。
猪子:で、銭湯もいっぱいある。そういう文化的背景がまずあった。その一方で「ととのう」っていう言葉ができ、またその状態へのプロセスをタナカカツキさんがマンガ※で可視化した。サウナと水風呂を交代で入るといいよと言われても、よく分からない。けど、それが「ととのう」という言語化と、マンガによる可視化をされたおかげでマンガとSNSとかで一気に広がっていった。
※タナカカツキさんの漫画=サウナーのバイブル「マンガで読むサウナ道 サ道」
箕輪:もともとお風呂好きの下地があったところに、サウナの入り方の言語化と可視化が混ざりあって一気に来たと。
猪子:で、どうもサウナが日本に入ってきたのが東京オリンピック前後らしい。海外の過去のオリンピックには採暖室みたいな暖をとる場所があって。だから東京オリンピックを機にフィンランドからサウナを輸入し始めた。それ以降、ある意味フィンランドがサウナの聖地になった。
箕輪:はい。
猪子:ただね、はっきりいいますよ。ちゃんとはっきりいいますよ。実際フィンランド行ったら、分かるんだけど、こんなプロセスで入っている人はいない。
箕輪:こんな、日本式サウナの入り方はやっていないと。
猪子:やってない。よく「フィンランドでは水風呂の代わりに冷たい湖に~」って言ってるけど。いや住んでみろよ、ヘルシンキのサウナにいちいち湖ないから。まあそういうサウナももちろんいっぱいあるけど、日常的なサウナは、ほとんどそうじゃない。水風呂もない。
箕輪:そう言いますよね。
猪子:つまりマンガでサウナのプロセスが可視化されました。SNSで広がりました。でもそれまでサウナ愛好家たちはこのプロセスを淡々と引き継いできたわけじゃん? でもそれには場が必要じゃん? つまり、水風呂がなぜあったのか? これは、輸入じゃないじゃん。
箕輪:たしかに。フィンランドから水風呂は来てない。
猪子:そう。サウナ入って水風呂入って、「ととのう」という行為を、タナカカツキさんがマンガを描く以前に、サウナ愛好家はずーっとやり続けていたわけだけど、なぜできたか。
箕輪:水風呂がそこにあったから。
猪子:そう。水風呂があったからできたわけ。サウナは、東京オリンピックの時に輸入されました。でも東京オリンピックの時に、水風呂は輸入されましたか? という話。
箕輪:水風呂は日本に元々あった文化だと。
猪子:そう。つまり、サウナが輸入される前から温冷交代浴※はあったと思う。なぜなら、古いフォーマットの銭湯にはサウナがなくても水風呂がある。それこそサウナが輸入されたのが1960年代の東京オリンピックの時、昭和じゃん。昭和以前にできた銭湯にも水風呂あるんだよね。くっそ熱い風呂に入って水風呂入るという温冷交代浴の文化があったおかげで。
※温冷交代浴=熱いお湯につかる温浴と、冷水を浴びる冷浴を交互に行う入浴方法
箕輪:それがサウナと結びついた。
猪子:そう。サウナと結びついた。それが今に至って、この「ととのう」ブームというか、ムーブメントというか。
箕輪:様式ができた。
猪子:そう。昔から温冷交代浴の文化があった。なぜなら、田舎だとおじいちゃんは、よく子供に、お風呂から上るとき水かぶって出ろって言う。
箕輪:そうだっけ?
猪子:田舎の人は、必ず言われているの。
箕輪:うそー。
猪子:ほんと。そういうおじいちゃんは東京オリンピックより前からいたの。
箕輪:そうなんだ。
猪子:東京の人は、忘れちゃってるだけで、おじいちゃんいないから、かわいそうに。ほんと。
箕輪:いや、いるけど(笑)。
猪子:田舎の古い銭湯にも水風呂がある。じゃあそれがいつからか。それは、めちゃくちゃたぶん。
箕輪:めちゃくちゃたぶん(笑)。
猪子:サウナよりも公衆浴場の水風呂というインフラと文化のほうが、たぶん重要だったんですよ。
箕輪:ほう。
猪子:なぜ水風呂があるのか? 行基の時代に戻るけど、宗教的に水をかぶっていたんじゃないか。
箕輪:神の水的なこと。
猪子:禊じゃないけど、水をやっぱりかぶるんだよね。神道とかの滝行とかでも。それはもともと清めるという感じだったけど、蒸し風呂と結びついて気持ちよかったんだろうね。
箕輪:ちょっとこれいいぞって。
猪子:一応、宗教的にかぶっていたがみんな気持ち良かった。そこから暗黙的に続き、やがて、銭湯にも水風呂もできて。
箕輪:そういう推測だと。
猪子:そう。
箕輪:で、フィンランドからきたサウナとそれが合わさって。
猪子:そう。風呂の横に水風呂置いちゃっていたから。だから、サウナが来た時に、温冷交代浴が激しい版に発展していって。
箕輪:まさにまさに。
猪子:それで、そのままに。
箕輪:すごい連続したいろんな人の努力で。
猪子:そうそう、今の「ととのい」に。
箕輪:すごいな。
猪子:行基から、温冷交代浴、そして「ととのう」は、続いていたのではないか?
箕輪:想像するとそうだ、ということですね。
猪子:確実にそうです。世界と時間と繋がっているからね。
箕輪:いや、すごい。それが六本木の今回のチームラボリコネクトにも繋がっていると。壮大な話だった。どうしよう、全然違ったら。この猪子説(笑)。
猪子:まあ歴史にはさ、いろんな説があるからね(笑)。
世界に対してチャレンジし続けるチームラボと猪子氏。圧倒的な試行錯誤の末にたどりついた「アートとサウナ」というアプローチで、新たな価値観の提示を行っていく姿に目が離せません。最高の状態で超自然現象のアートを見るという新しい体験は、果たしてどんな感覚になるのでしょうか? 今から楽しみです!
「チームラボ & TikTok, チームラボリコネクト:アートとサウナ 六本木」は2021年3月中旬オープン予定です。詳しくは公式サイトをご確認ください。
↓体験レポートを公開しました!猪子さんのインタビューの続きも掲載しています。
編集/箕輪厚介
編集補佐・ライティング/清水えまい・大西志帆・浅見裕
書き起こし/しばたゆうこ・隅倉文子・大村祐介・氷上太郎・黒羽大河